明治30年代後半より、日本人伝道者により別府の地に伝道が開始されました。
初代牧師 豊留秀信は、アメリカで学んだ後、ここ別府に着任し、キリストの福音を街の人々に伝えはじめ、この教会を建てました。大日本帝国下の大正時代には、多くの人々が集められ信仰を得ました。その中には別府市(当時は別府町)の2代目町長もいました。有名な油屋熊八は隣りの教会の信徒でしたが、これらのクリスチャンたちの働きによって、別府の観光業は豊かにされたといってよいでしょう。
私たちの教会は日本基督教団に属していますが、教団として合同する前は旧日本基督教会に所属していました。
宗教改革の伝統、特にジャン・カルヴァンの働きに発する、改革長老主義の流れを汲むプロテスタント教会です。
私たちの教会は1912年(明治45年)にイエス・キリストを信じる小さな群れとして形をなし、米国リフォームド・ミッションの働きを通して、翌年申し合わせミッションの「別府伝道教会」として日本基督教会の鎮西中会(今日で言うところの「九州教区」)に記録されました。
1917年(大正6年)4月21日に第52回鎮西中会が当教会にて開催され、1940年(昭和15年)8月1日には第一回臨時中会が開かれたことが記録されています。
1933年(昭和8年)に「日本基督教会 別府教会」に名称が変わりました。
1941年(昭和16年)プロテスタント各派が合同して、私たちの教会は「日本基督教団 別府不老町教会」となりました。
明治憲法で信教の自由が保障されたとはいえ、第二次世界大戦の終わる1945年(昭和20年)までは、私たちの教会も様々な形で苦難を受けました。礼拝中も特高警察による厳しい監視がありました。
戦後、私たちの教会の牧師が関わり、戦災のなかで生まれた孤児を養育するため児童養護施設栄光園が設立されました。
地域の牧師や教会員の働きによって支えられながら、栄光園は今なお働きを続けています。
当教会と関係のある施設として、障害のある方々の就労支援センター青藍会、さくらんぼ保育園、みにふう保育園などがあります。
戦後から現在に至るまで、多くの牧師と教会員の働きによって、私たちの教会は立ち続けてきました。
そして、2011年2月に100周年記念礼拝をささげることができました。
多くの方々の祈りと支えにより、100周年記念事業として牧師館・集会室を建築することができました。
過去に学んで伝統を継承しつつ新しい将来に歩を進めるべく、今私たちの教会ではビジョンを描き、礼拝を守り、奉仕に励んでいます。