特別伝道 主日礼拝
関川泰寛先生をお招きして
2023年7月23日(日)於 別府不老町教会
10時30分~ 礼拝
「聖書が教える生き方ー野の花、空の鳥を見なさい」
イザヤ書40章6-8節 マタイによる福音書6章25-34節
13時~15時 研修会
「教会の土台について考えるー健やかな教会形成と伝道の
進展のために」 マタイによる福音書16章13-20節
どなたでも御参加ください。歓迎いたします。
礼拝は、YouTubeでお流しし、後からでも見られるように致します。(教会ホームページからお入りください。) 関川泰寛先生のご紹介;慶応大学経済学部を卒業後、エディンバラ大学で神学を学び、東京神学大学大学院を修了後、東北学院大学助教授、東京女子大学講師、 国際基督教大学講師、東京神学大学教授、泉高森教会牧師、十貫坂教会牧師を経て、2013年より大森めぐみ教会牧師として働いています。歴史神学の研究者でもあり、著書・訳書も多数あります。教会の礼拝で皆様と聖書の言葉を味わい、 イエス様と出会うことを一番の喜びと感じています。ぜひ教会にお出でください。
十字架にすがりて 尾崎二郎
賛美歌21の303番「丘の上の主の十字架」に表題の詞がありますが、この風刺漫画を見ると「すがりつく」とはこういうことなのだとよく分かります。この漫画は『団団珍聞』明治21年1月28日号に掲載されました。『団団珍聞(まるまるちんぶん)』は、今でいえば大衆週刊誌で、当時大変人気がありました。
この風刺漫画は「猿鬼遊び」と題されています。十字架にすがりつく民衆と官憲との攻防を物語っていると思われますが、私たちは明治のこの時期に、このように十字架に救いを求めすがりつこうとする人々が多くいたことを覚えたいと思います。まことの救いはキリストの十字架の下に一人静かにひざまずき身を委ねる時、主なる神の愛がそこに顕れ、もたらされますが、この漫画では、その静謐を妨げようとする様々な妨げが描かれています。国家権力の権化である一人の官憲が手を広げて民衆たちを追いかけます。そして民衆は民衆で我先に十字架に触れようとして、他者を追い落とそうとしてその衣服を鷲掴みにしています。さらによく見ると、「青い鳥」という偶像に目を奪われ道を逸れようとする一人の人が描かれています。
マルチン・ルターは16世紀にローマ法王に異議を申し立て、破門され命を狙われます。カトリック教会の一司祭であったルターが、当時、絶対服従を求められた法王に対し、キリストの救いを信じて異議申し立てしたことは、宗教改革という一つの画期の始まりとなりました。そのように十字架にすがりついたルターには、心強い味方が現れました。その代表的な一人が賢公フリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯)で、彼は自分の領内にルターをかくまったのでした。
宗教改革はよく、教会(教権)と国家(俗権)が提携して成し遂げられたと解釈されますが、その国家が19世紀には教会を迫害するようになろうとは、実に世の成り行きは見通せないものです。
今、木曜定例祈祷会で、ヨブ記を皆で通読していますが、ヨブと三人の友人たちの救いへの道程は、この風刺漫画の有様に似ているように思います。ヨブはヨブ記19章25‐27節で
「わたしは知っている わたしを贖う方は生きておられ ついには塵の上に立たれるであろう。
この皮膚が損なわれようとも この身をもって わたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る」と回心を遂げた様であっても、それから後も度々、友人たちを悪し様に言い追い落とそうとしてしまいます。このように罪深い私たち人間の救いは、やはりキリストの十字架にしかないのです。
別府不老町教会祈祷会 20201217 ヨブ記4章 尾崎二郎
黙想 「言葉は神であった」(ヨハネ1:1)と記されているように、神は言葉である。しかし、その言葉とは、私たち人間が発する言葉はとは違うものだろう。だが、神は人間を「御自分にかたどって」(創世記1:27)創造されたので、人間の言葉には神の言葉の似姿が映し出されているに違いない。
ヨブと3人の友人は七日七晩を黙して共に地面に座って過ごした。4人は並んで座り同じ方向を向いていたのではないだろうか。黙して神の声を聞こうとして黙想していたのだろう。「やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、(応えて)言った。」(ヨブ記3:1)、「テマン人エリファズは(応えて)話し始めた。」(4:1) これらの3章、4章の冒頭の話初めには、どちらにも「応えて」という意味のヘブライ語がみられる。さて、ヨブとエリファズは、誰に応えて話し始めたのであろうか。
それは、4人が同じ方向を向いている先におられる主なる神に対してだっただろう。ヨブは4人のうちで口火を切ったが、口を開くや、神に対して呪いの言葉を発したのである。
そして、ヨブの言葉が途切れ、沈黙が訪れたとき、エリファズはおもむろに、神に応えて話し始めたのである。この様子はヨブとエリファズの直接の対話というよりも、ヨブと神、そしてエリファズと神との会話を、周りにいる人たちが共に聞いているという情景ではないかとおもう。
4章は「言葉」という主題に終始する。2節までに3種類のヘブライ語で「話す、言う」という事が語られる。これは私たち人間の口から発する言葉をよく吟味しようとする意図の表れだろう。私たちの言葉は神の言葉の似姿でありながら、時に良いこと時に悪いことを言う、至らないものである。エリファズはヨブの呪いの言葉に毒され、その言葉には恵みが感じられない。
5節「しかし今、あなたにそれが降りかかると/あなたは耐えられない。/それがあなたの身を打つと、あなたはおびえる。」(聖書協会共同訳)では「それが」という代名詞になっておりこれが直訳。新共同訳の「何事か」は意訳。では「それ」とは何を指すだろう。それ即ち神の言葉であろう。3節よりエリファズは、神から祝福されたヨブの言葉の数々が倒れる人を起こし、くずおれる膝に力を与えたとして、それをあたかも神の恵みの言葉のように称揚したが、その神の言葉が、いざヨブ自身にふりかかったとき、「あなたは弱って・・・おびえる」ではないかというのである。
確かに、神の言葉は、私たちにとって恵みとしても災いとしても働く。4章は終始3章のヨブの呪いの言葉の余韻に支配され、悪しき霊に取り巻かれているようだ。そんな中、主なる神は、ますます、恐ろしい言葉を人間にささやく。17~21節は主なる神の恐るべき言葉である。
メッセージ 私たち人間が、神の似姿であることを忘れ、呪いの言葉、悪しき言葉を口にするとき、主なる神は人間に対しそれなりの応答をしてくださる。それは神からの必要な戒めとして私たちの耳に聞かれることだろう。
貞潔なマリアが主なる神の言葉に対して、「どうして、そんなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに」と素直に答えて、「神にできないことは何一つない」という御言葉を頂き、マリアがそれを「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように」と言って素直に信じたとき、神の言葉はまことに恵みとして彼女にやってきた。
私たちもマリアのように恵みの神の御言葉を受け取り、「言が肉となる」(ヨハネ1:
14)クリスマスを心と体で共に喜びあいたい。
ぶどうの木11月号より
わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。(マタイによる福音書7:21)
この聖句を聞いて思い起こされるのは、十戒の第三項「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」(出エジプト記20:7、新共同訳)です。これは聖書協会共同訳のヘブライ語直訳によりますと「あなたは、あなたの神、主の名を空しいことのために唱えてはならない。」となっています。
「主よ、主よ」と言う者のうちで、天の国に入ることのない者とは、わたしの天の父の御心を行わない者だとイエス様は言われます。イエス様は、私たちの言葉と行いによる罪を見ておられます。罪深い私たちは、悔い改めて、主に憐れみを求めることで天の国に入る者とされるのです。
主の御心を行おうとしても、自ずとそれから反れてしまって罪の行いをしてしまう私たちにとって、上記の十戒 第三項を心に留めることは幸いであるといえるでしょう。
さて、今、祈祷会で読んでいますエステル記には、「主」も「神」も、初めから終わりまで一回も記されていません。しかし、そのことによってかえって、エステルとモルデカイが如何に主の御心に忠実であったか、そして反対にハマンが如何に主の御心を知らなかったかが、浮き彫りになって描き出されています。
エステル記の世界は、古代ペルシア帝国という異教の地でのことですが、これを読めば読むほど、主の御心の確かさに心打たれます。エステルとモルデカイは「主よ、主よ」と心の中で唱えながら、天の父の御心に踏み従っていったに違いありません。
エステル記の終わりには、「プリムの祭り」がユダヤ人の中から失せてはならないものとして制定されました。「ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。」(エステル記9: 22)そしてユダヤ人は主なる神へ感謝の祈りを捧げたのです。
別府不老町教会祈祷会 20201105 エステル記7章 尾崎二郎
黙想
「これから述べる掟と法は、あなたの先祖の神、主があなたに与えて得させられる土地で、あなたたちが地上に生きている限り忠実に守るべきものである。
あなたたちの追い払おうとしている国々の民が高い山や丘の上、茂った木の下で神々に仕えてきた場所は、一つ残らず徹底的に破壊しなさい。
祭壇を壊し、石柱を砕き、アシェラ像を火にくべ、神々の彫像を切り倒して、彼らの名をその場所から消し去りなさい。」(申命記12:1-3)
高台に石柱をそびえたたせた礼拝所は、ユダヤ人にとって忌避すべき偶像崇拝の地であった。ハマンの妻ゼレシュと親しい友人たちは「50アンマもある高い柱を立て、」(5:14)とハマンをたきつけて22mもある高い柱を立てさせた。
さて、高い柱を立てるには、巨大な基礎の岩石が必要である。実に柱建築には、目に見える柱の据え付け工事よりも、地中の基礎工事のほうが、労力を要したかもしれない。
「わたしはあなたに感謝をささげる あなたは答え、救いを与えてくださった。
家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった。
これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと。
今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。」(詩編118:21-24)
しかし、主なる神は、その工事において打ち捨てられた「取るに足りない」石を「隅の親石」に据えられ、私たちが礼拝する場をつくられた。
「聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。」(マルコ12:10、マタイ21:42、ルカ20:17)
主イエスもこのようにこの詩編の箇所を引いて諭されている。
お前たちは言った。「我々は死と契約を結び、陰府と協定している。洪水がみなぎり溢れても、我々には及ばない。我々は欺きを避け所とし、偽りを隠れがとする。」
それゆえ、主なる神はこう言われる。「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石 堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。
わたしは正義を測り縄とし 恵みの業を分銅とする。雹は欺きという避け所を滅ぼし 水は隠れがを押し流す。」(イザヤ書28:15-17)
「シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」(マタイによる福音書16:16-18)
「貴い隅の石」はこうして人格的に語られる。「隅の石」は柱を支えるためではなく、代々に信仰を守り伝えるために用いられる。
メッセージ 代々の聖徒達が礎となって築かれているこの教会で身を委ね、主にひれ伏す私たちは、何も慌てることはない。私たちは人身御供を誘う柱を立てるのに加担することはなく、ただ主に守られ、恐れや悲しみを平和と喜びへと変えてくださる主により頼むことが出来るからである。
また、教会は一人一人の小さな信仰からなることが知らされている。私たちは大きなことを成し遂げようとするのではなく、小さなこと、見えないことに目を注ぎつつ、教会を建て上げていこう。
ぶどうの木 10月号より 尾崎二郎伝道師
「わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。」(ルカによる福音書9:26)
インターネットで「名言 イエスキリスト」と検索しますと、アインシュタインやキケロたちと並んで、イエス様の御言葉が出て来ます。名言といいますとそれを聞く者が学び見習うべき価値ある言葉に違いありません。ですからクリスチャンにとって聖書に記されているイエス様の御言葉は、どれをとっても「名言」であるといえるでしょう。
今回の聖書の御言葉は、イエス様が語られた言葉です。その意味は「今ここで、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、私が終わりの時に再びやってきて栄光のうちに皆に会う時に、その恥じた者を恥じる」ということです。
この「名言」は信仰があるクリスチャンが読むのと、そうでない人が読むのとではその受け取り方は全く違ってくることでしょう。クリスチャンにとってはこの御言葉は、戒めであり又励ましでもあります。しかしそうでない人にとっては、これは名言のうちには入らないことでありましょう。
以上のことを念頭に置けば、イエス様は、アインシュタイン、キケロといった人間たちと同列に並べるべき存在でないことが明らかになってきます。イエス様は、人間であると同時に神様でもあるのです。
私たちは日常の生活において、人の目を気にして、人の目に恥と映ることをすまいとして行動しています。それでも恥をかいてしまった時は縮こまって閉じこもりたくなるかも知れません。
聖書にも「恥」のことはよく記されていて、最初に登場するのは、創世記2:25「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」です。この二人つまりアダムとイブは、それから禁断の木の実を食べるという罪を犯した後、二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせて腰を覆ったのでした。この時、地上にはこの男女二人がいただけでした。ですから二人は自分たちを造った主なる神の目の前でこのように恥を知ったのです。
私たちは人の目だけでなく、主なる神の目をも気にして生きていく方が幸せになれるのではないでしょうか。
教会の歴史にふれる ぶどうの木9月号より
尾崎二郎伝道師
別府の界隈には多くの修道院があります。トラピスト修道院、カリタス修道女会亀川修道院、サレジオ修道院、神の愛の宣教者会(マザー・テレサの会)、カトリック女子跣足カルメル修道会・聖マリア修道院などです。これらの修道院ではブラザーやシスターが祈りと献身の日々を送っています。以下ホームページより引用します。「トラピスト修道院の生活は、沈黙と孤独のうちに神とともに生きる生活であり、祈りながら働き、働きながら祈る生活、主イエス・キリストの弟子として、すべての 人の救いのために奉仕する生活ということができます。 一般社会から身を引き、直接宣教活動に携わる事はありませんが、絶え間ない祈りと、人目にたたない償いのわざによって、神秘的な方法ですべての人のために神の 恵みを願い続けています。」修道院は、世間から区分されつつも分離されず(アタナシウス信条の定式)、建てられているのです。従ってなかにはクッキーを製造販売している修道院もあります。
なぜ教会の歴史で修道院なのか?と言われるかもしれませんが、教会の歴史に修道院の存在はなくてはならないように思われます。現在プロテスタントの教会には修道院の制度がありませんが、そのことも含めて以下に記します。
修道院の始まりはアントニオス(251頃-356)ら隠修士の生活に始まります。彼らは砂漠、洞窟、断崖絶壁の頂、あるいは地面に立てた柱の頂きで一人で修行し、隠者のような生活をしていました。なぜこのような人たちが出て来たかといえば、パウロの時代から200年位経って、キリスト教がローマ帝国内に広まり、終に313年に信仰が国家によって公認されます。国家によるキリスト教の制度化により、キリスト者の信仰はその純真さを損ない、この世的な動機で入信する人々も増し加えられたと思われます。そのような状況を逃れるため隠修士たちは、エジプトの砂漠などへ一人旅立ったのでした。
やがて隠修士たちの間で共住して献身する者たちも現れました。そんな中、バシレイオス(330頃-379)は「大ワシリイの修道規則」と呼ばれる修道生活の指針を定め、それは中世の修道院隆盛の礎となりました。
時代は下り16世紀ヨーロッパで宗教改革が起こります。改革の先駆者ルターは両親の反対を押し切って聖アウグスティヌス修道院に入ります。そこでの体験などからルターは結果的に修道院制度を否定することになり、そのことが、現在のプロテスタント教会に修道院制度がないことの遠因かと思われます。宗教改革者は、アド フォンテス(ad fontes、源泉に帰れ)を合言葉にパウロらの時代の原始教会、聖書に記されたそのままの世界に戻ろうとしました。確かに聖書には修道院などは出て来ませんね。
私は、フィリピの信徒への手紙を詳しく読んでみて、今の時代に聖職者が世俗から区分されて生活していくことが、パウロの時代より難しくなっていると感じます。ですから今日、制度的に聖と俗の場所を区分して暮らしている修道士たちの献身は、教会の全ての人が覚えて祈っていく事柄だと思います。
アブラハムがはるかに眺めた平和の地 ぶどうの木8月号より
尾崎二郎伝道師
去る7月12日の宇佐教会交換講壇の奉仕を終えた後、私は宇佐平和資料館を訪れました。そこには零式艦上戦闘機21型が展示されており、人一人がやっと入れるその操縦室を間近に見ることが出来ました。これに乗り出撃した特攻隊員たちは将にこの機体と一体となって飛び立たれたのだと感じました。
私たちクリスチャンは、この地上における歩みを仮住まいの日々としてとらえていることでしょう。そのことは私たちの父祖アブラハムやモーセにとっても同じことでした。
「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」
(ヘブライ人への手紙11:8)アブラハムは自分たちの計画ではなく、ただ主なる神の声に聞き従って、約束の地へ向けて歩み出したのでした。
「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」(11:13)しかし、アブラハムもモーセも、自分自身は約束の地に入れられることはありませんでした。自分では体験できなかったけれども、子孫たちがそこに入れられることを確信して、はるかに見晴るかす場所で、その喜びを共にすることが出来たのです。
約束の地には、この世の仮住まいで得られる喜びにはるかに勝る、深くて広い喜びがあることが記されています。私たちはこの世においては、自分たちであれこれ計画して、よい暮らし、幸せな境遇を得ようとすることでしょう。しかし、約束の地に入れられるのは、主なる神の計画によるのです。
約束の地の姿はヨハネの黙示録に示されています。21:9から新しいエルサレムの姿が記されていますが、ネヘミヤ記に記されているその城壁は、より立派で見栄えのする様に補強をされています。しかしその門は一日中閉ざされることはなくなります。
「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。」(21:22~24)ここにはイエス様はおっしゃったことがそのまま記されています。かの日には、もはや神殿はなく、私たちのうちに主なる神は住まわれるのです。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ書29:11)
ぶどうの木 2020年6月より
キリスト教会入門 ―道行くあなたへ― 尾崎二郎 伝道師
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121篇)
キリストの教会へようこそ。あなたは今助けを求めていないでしょうか。あなたは藁をもすがってもがいておられるかも知れません。そのようなあなたに助けはやって来ます。それはこの天地のすべてを造られた主なる神のもとから。どうか、主なる神があなたの歩みの一歩一歩を見守り、守って下さいますように。主なる神は昼も夜も休むことなくあなたを守っておられます。そのような方は主なる神の他にはありません。主なる神は太陽も月をも造られた創造主。私たち人間も主なる神によって造られました。炎天の太陽も、怜悧の月も人間の命を滅ぼすことは出来ません。あなたは主なる神のそばに居れば、すべての災いから遠ざけられます。主なる神はあなたの魂の真底までも見守っていてくださいます。たといあなたが主なる神から遠ざかろうとしても、そのまなざしは絶えず注がれています。
主なる神はあなたを愛し救おうとされています。その主なる神はどこに居られるのか。その姿を見た人は未だ誰もいません。しかし私たち人間には十字架という目印が示されています。あなたが背負う痛みや苦しみを、主なる神の独り子であるイエス・キリストは身代わりとなって背負われて、十字架に架かり、究極の痛みと苦しみの中で死に、そうして三日後に復活されました。あなたは自分の痛みや苦しみをイエス・キリストに預けて歩み出すとき、救いへの道の第一歩を踏み出します。
誰もイエス・キリストの姿を見た者はいません。ですから最初は誰もイエス・キリストを信じていなかったのです。しかしイエス・キリストはあなたがやってきて助けを求める為に手を広げて待っておられます。イエス・キリストは信じる者を救われるのです。
ではイエス・キリストはどこに居られるのでしょう?あなたはその疑問に悩むより前に、是非この教会の門をくぐって教会の中に入ってみてください。中に入るのに何の資格も要りません。イエス・キリストはあなた方すべての人たちのために居てくださいますから、心配はいりません。
ぶどうの木 2020年5月より
私が東京神学大学に提出した修士論文(幻?) 尾崎二郎
大友宗麟に洗礼を授けたのはフランシスコ・カブラルという宣教師でしたが、このカブラルは時の冒険的なポルトガル人の典型のような人であったようです。日本文化や日本人に対して否定的で、いわゆる謙遜清貧の牧者からは外れた人だったようです。
私が東神大に提出した修士論文は、キリスト信仰がどのように周りの人々に伝わるかを考察した論文です。信仰の伝達には二つの側面があると考えられます。一つ目は、個人的な精神(エートス)が受け渡されて人から人へと伝わること、二つ目は、人が取り巻かれている時代の雰囲気や慣習など全体的な制度(エトス)の変遷のうちにあらわれる、信仰の伝達です。
例えば、宗麟が洗礼を受けた16世紀後半の日本は戦国時代の只中であり、信長や秀吉は、京にいる天皇の権力に頼んで「天下統一」のために奮闘しました。しかし、宗麟たち九州の大名たちには、ひょっとして京の天皇の権力などあまり眼中になかったのではないでしょうか。むしろ宗麟は、南蛮から来る力ある武器や、美しい縞柄の洋服などに魅せられ、その背後にある権力や権威のほうに心惹かれていたのではないでしょうか。
この例で言えば、信仰はカブラルから宗麟へと個人的に伝わったのが一つ目(エートス)。そしてもっと全体的な時代の制度の諸々の要因がぶつかり合う中で伝わるのが二つ目です(エトス)。このエートスとエトスのうち、私の修論ではエトスを中心に論じました。
修論題は「サクラメントと国家儀礼-植村正久をめぐって-」です。5月10日の説教でも触れましたが、明治時代の日本では、現在の日本とはかなり異なるエトスのなかで人々は暮らしていました。今とは言葉も国家体制もしきたりも、そして人々の信仰も違っていたのです。その明治時代のエトスの中心にあったのが天皇制という制度でした。この天皇制は江戸時代末期に橿原神宮が新しく造営されたことを始まりにして、段々と儀礼が整えられ、全国津々浦々へ天皇の行幸が挙行されるなどして、強固なものとされて行きます。そしてそれは全く人工的な構想に基づいて始められたのでした。
それに反して、教会のサクラメント(洗礼と聖餐)は、人工的な構想ではなく、主なる神の御心によって形作られている制度です。つまり教会の制度は、人が作ったものではなく、主なる神の顕れであり、キリストの体なのです。
第二次世界大戦前までの日本では「国体」という言葉が多用され、人々はそれが表すところの国家体制に縛られていました。このように私たち人間は事実上、自分を取り囲む「体」に統治されます。
そのことを思いますと、私たちは主イエス・キリストの精神だけを見つめるのでなく、主イエス・キリストの体の一部とされていることを喜び、礼拝賛美してゆくべしと祈り願います。(私の修士提出論文を読まれたい方は、伝道師まで言っていただければ差し上げます。)
不老泉恵みの日々を増さしめて 御言葉の泉のちに伝へむ
不老泉この世の日数増さしめて 御言葉の泉のちに伝へむ
父共に聖霊共に御子イエスは 我らを罪に泥ませずをり
キリストの愛は尊し我らをば 泥みの罪より逃れせしめり
キリストの愛は尊し我らをば 泥みの愛より逃れせしめり
乳飲み子の一人立つごとダビデ王 主に抱かれて歌う詩篇歌 (詩編131)
花里の香りかぐわしこの花は 君持て来る恵みにぞある(2020.5.3花の日礼拝記念)
聖名賛美
今、全国に緊急事態宣言が出されていますことから、当面、主日の教会での礼拝を長老と伝道師だけでお献げします旨、皆様にお知らせさせて頂いております。
しかしながら、本日4月26日の礼拝より、礼拝中継委員会が中心になってすすめていました主日礼拝のライブ中継が視聴できるようになりましたので、来週5月3日の主日礼拝から、ご自宅にて礼拝をお献げすることを第一にしたいと思います。皆様が、同じ10時30分から同じ映像を見ながら、主にある一致を願い求めていきたいと願います。
ご自宅でライブ中継が視聴できない方は、尾崎伝道師までお問い合わせください。教会の電話番号は0977‐23‐7323、伝道師の携帯電話は090‐1428‐5159です。説教の要約は週報に掲載していますが、それ以外にも分かりやすい資料をお届けしたいと思います。わたしは赴任して間もなく一カ月が経とうとしていますが、教会守りの職務を果たしながら、このような状況の中で主なる神がわたしたちに何を問いかけ求めておられるのかを問い続けています。その答えを皆さんと共に探していきたいと思います。
当面、主日の教会での礼拝は、伝道師と、司式者、ヒムプレーヤ等担当者だけで執り行います。教会ホームページ上の「お知らせ」に書きましたように、わたしたちが教会において当面、平和の挨拶を交わせませんことは、主イエスも悲しみとされることですが、そのわたしたちの悲しみを、主にお委ねしてまいりましょう。
2020年4月26日 日本キリスト教団別府不老町教会
伝道師 尾崎二郎
教会月報「ぶどうの木」2020年4月号より
教会(集い)について 伝道師 尾崎 二郎
パウロが伝道していた頃、ローマ帝国内ではキリスト教は公認の宗教ではなく、信者たちは迫害を受ける立場でした。信者たちは様々な仕方で家庭集会のような形で信仰を後の世代に伝えようとしたと考えられます。そのうちユダヤ教から分離したキリスト教会も建てられるようになり、教会間の交わりは活発であったと思われます。そのことはパウロが諸教会に宛てた書簡などによって明らかです。
このようにイエス・キリストの救いは、古代より人から人へと口づてで広まっていきました。それは人と人とが顔を見合わせる関係性のうちに伝わっていったのです。
現在の世におきましてもそのことは変わりがないように思います。今は、情報伝達の手段が昔と比べて格段に発達し、私たちは効率的に大量の情報を受け渡すことが出来る状況に置かれています。しかし、人と人とが顔を見合わせる関係性となりますと、このことは段々と疎かにされ、苦手になり、遂には避けられてしまうようなことになってはいないでしょうか。
4月9日の祈祷会で、ネヘミヤがアルタクセルクセス王と深い応答をして、そこに天にいます御神の導きが現れたことを採り上げましたが、たとえ異なる信仰をもつ人に対しても、顔を合わせて話をすることで主なる神が働き始めることがあることを知らされました。
しかし、今のこの地上においては、新型コロナウィルスの蔓延によって、私たちは顔を合わせて話をすることから更に遠ざけられようとしています。それに代えて、ライブ中継など、遠くにいても情報が受け取れる機器を用いて、私たちの信仰を何とか伝えようと努めています。ライブ中継ですと、多くの人々に同時に説教などをお伝えすることが出来ます。今のようなご時世においては、教会におけるライブ中継などの整備は不可欠であると思われます。中継によって、広く不特定多数の人々に福音を告げられるという魅力もあるでしょう。
ただし、これだけでは不十分だと思います。私自身のお話をしますと、15年ほど前、千葉の地であるオーストラリア宣教師と出会い、彼が「Jesus(ジーザス)のためなら牢屋に入れられて、死んでもいいじゃん」と心から話されたのを聞いて、私は信仰に入れられました。これは決して長い語りでもなく、又、複雑な神学の解説でもなかったのでしたが、この一言で、私は信仰に入れられたのでした。
教会(集い)のなかで起こることは驚きの連続です。なぜなら様々な人々が集い、関係性を持っていくうちに主なる神が、それぞれにふさわしい仕方で介入されるからです。今の新型コロナウィルスの蔓延という状況にあってもそのことは変わりません。たとえ状況によって一時的に教会に集えなくなったとしても、このことを忘れないようにしましょう。そして又集められるときを待ちましょう。
信仰が深められるとき、遠くにいても近くにいても主にある交わりは一つですということが悟らされるでしょう。今は、そのように信仰が深められるために与えられた試練のときかも知れません。どうか主なる神が私たちに知恵を与え、新型コロナウィルスを恐れることなく、あなたを待ち望むことが出来ますように。